==「ROOTS求めて・・・」顛末記==


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お番茶会メンバーである面々は、一度は見たことがある「家系図」。

こぼけは、以前からこれに相当興味を持っておりました。
そして。運命の巡り合わせ。「えたろさん」博物館顕彰担当に。
担当になったのがきっかけで、筆頭殿他と「ROOTS」な話題が出始め、ここに至っておりまする。

現存「家系図」、これは明治6(1873)年に書かれたモノです。
記載責任者であったのは御先祖「喜陸(きろく)」さん。えたろさんの「曾祖父」です。
お番茶会の曾祖父、えたろさんの展示に関わったこぼけは、なにかしら運命 的なモノを感じたとかそうでもないとか。。。(^^;)

喜陸さんは、自分の5世代上の「初代:若松屋清五郎」からの記録を録っていました。
家系図完成後、明治6年6月火災により全てを消失してしまったため、再度家系図を作成しています。それが現存家系図です。
初作家系図は、いつ作られたのか、どのように作成されたのか一切は不明です。
現存する家系図が出来上がった時。それは火災後5ヶ月。えたろさん生後9日目でありました。

聞くところによると、全焼した焼け跡から拾い出した木っ端を使って間に合わせでかろうじて建てた掘っ建て小屋で、えたろさんは産声をあげたそうです。
その9日後、家系図は完成しました。
そのすぐ後、「太田」という豪農の家屋敷を買い取り、先祖代々住んできた地を離れ、今のお番茶会御本家へと移り住んだそうです。
今ある家は、買い取った家そのものであります。
そして、焼け出された土地の一部に、今は「大里」氏が住まっております。現大里家当主の曾祖父は、えたろさんの弟「参人」です。
参人が大里家へ婿入りしたのです。
どのようにして焼け出された土地が大里氏へ渡ったのか、そして、えたろさんの弟が大里氏へ婿入りした背景などの資料は今のところ見つかっていません。

まずは、分かっているところからupしていきたいと思います。




喜陸さんが「記録」したいわれ

系図(抄)

「若松屋」とは?

「池田屋備前蝶」について

「盆礼(ぼんれい)」という習慣



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