--「盆礼(ぼんれい)」という習慣--


ここお番茶会「本拠地」では、8月のお盆時期に「盆礼」という習慣があります。

8/13か14に、一族の筆頭が正装して数世代前からの血縁関係とか極めて親しい仲である家を訪ね、「盆前はお世話になりました。盆後もよろしく」とそこの家のお仏壇にお参りする、というモノです。
お互い疎遠になりがちな関係を保持するための古くからの習慣のようです。
現在、一族の筆頭は他地にいるため、代わりにkobokeが回っています。「代理で来ました」と言いつつ。。(^^;)

現在最も古いであろうと思われる、血縁関係のない盆礼の行き先。
そこは、「あぶらや」さんと言います。
全く、血縁関係はありません。なのに、なぜ、両家で盆礼を今も行っているのか?

うち側、あぶらやさん側、ともに同じく伝え聞いている話があります。

「あぶらや」さんの御先祖が、他の土地からここへ移ってきた。その際、この地で「最初に草鞋を脱いだ」家が、うちなんだそうです。
それがいつなのかは、残念ながらわかりません。
少なくとも「安政6(1859)年」以前であることだけは、確かです。
「ワラジを脱ぐ」。これは、「その地に安住する」ことを意味していたようです。
その第一歩が、ウチだった、そういう縁だそうです。

安政6年。これは、現存するあぶらやさんの母屋、倉などが建てられた年です。
「あぶらや」という名前は、「油売り」にて身を立てたところから来ているそうです。
確実に分かっている年数で見ても、今から140年前の安政6年には、既に両家で「盆礼」は行われていたハズ、ということになります。
当時、大火災の15年前。
そのときのウチへの盆礼は、今はなき「当家」へあぶらや家筆頭殿が来ていただろうし、ウチでは、新築してさほど経っていない「あぶらや」家へと行っていたであろう、と思われます。

少なくとも140年は続いてきているあぶらや家への「盆礼」。これを、失うワケにはいかない、kobokeは代理のブンザイではありますが、ヒシヒシと感じております。




喜陸さんが「記録」したいわれ

系図(抄)

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