−−池田屋備前蝶について−−



これが、お番茶会の”証”、家紋「池田屋備前蝶」であります<(_ _)>



これが、池田屋備前蝶
(らしい(^^;))こっちが、備前蝶(らしい(^^;))


実はですねぇ。。。(^^;)調査不足でまだハッキリと分からないことの方が多いんですよЧ^^;h




−−−−最新ニュース−−−−

1999年10月19日、折しも本拠地を訪れていたKEN氏とともに、菩提寺を訪ねてみました。
調査結果、家紋は「もしかすれば、”池田屋備前蝶”なのではなく、”備前蝶”なのではないか?」という疑問が出てきました。(^-^;
墓所の墓石には、家紋は入っていません。そして、お寺の中にある位牌堂の我が家の区画の中にある小さな1対の「花台」、
これに金砂で書き込まれている家紋は(上で言うところの)「備前蝶」でありました。
さらに、紛れもなく一族であることが分かっている他家の墓石にあった家紋も、やはり「備前蝶」。
とどめは、我が家の仏壇の一番上に透かし彫りで彫り込まれている紋も、「備前蝶」。。。。。
これらを、どう見るか????
口伝で聞き伝えられてきた家紋は、「池田屋備前蝶」です。しかし、実物はどれも「備前蝶」だった。。。。
あるいは、最初の調査(上にupした家紋そのもの)が間違っている可能性もあります。
もう1つだけ、我が家には手がかりになる物証があるのですが、現在、「どこにしまったのか忘れた」という、
ナイスな(^-^;理由でまだそれは確認できておりません。
一族である他家にも、いろいろな証拠が存在しているハズです。まだまだ、家紋の奥は深いっす(^-^;
いずれ、KEN殿から、そのときに撮りまくったjpgが届くと思いますので、それらをupしてゆきたいと思います。



喜陸さんが「記録」したいわれ

系図(抄)

「若松屋」とは?

「盆礼(ぼんれい)」という習慣



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