お次




我らお番茶会の面々は、知っている自分たちのrootsの歴史は浅いです。


備前岡山藩に仕える武士であって、何らかの功労があったため主君の家紋「池田屋備前蝶」の使用を許された

その後、会津若松(現福島県)に移住
(一説によれば、信州に同じ家紋の豊口さんが居る、とのこと。ご存じの方は情報をお願いいたします)

会津若松より、南部藩鹿角(現秋田県)の地に移住

酒屋を営む

南部藩主より苗字・帯刀を許される



現存する家系図では、南部鹿角の地に来て以降のことしか分かりません。
家紋や会津のことは、代々伝えられてきた「聞き伝え」でしかありません。
鹿角の著名な郷土史研究家(故人)が、実際に会津若松へ出向き調査した
そうですが、手掛かりはなかったとのこと。


rootsを訪ねる旅は、このへんで止まったままになっております。
「備前池田」「会津若松」「信州」「南部」。。。これらと「豊口」との関係。
(そもそも何故、豊口姓になったのか、なぜ信州にも同じ家紋の豊口さんが居るのか、全く不明)

もし、なんらかの情報なり、「もしかすれば、、、」というお話をお持ちの方は、
豊口ネットBBSか、こちら(mail)まで、ご一報いただけると幸いです。



こちらが南部移住以降の話題に触れているページです。



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